やまちゃんのぼやき

英語がんばる

お花見と休職中の私

今週のお題「お花見」

ここ数年いわゆる「お花見」はできていない。ここ数年…?もっとかも。軽く10年は参加していない気がする。大学のサークルで行ったんだったかな。何をしゃべったかとか、何を食べたとか、思いですら怪しい。

 

ところで、最近の私はメンタルが限界突破したので休職している。今週から復職に向けて生活リズムを取り戻そうとしている。いつもの時間に家を出て、始業時間~定時まで何かしら活動し、家に帰って少し家事をする(のが理想)(できているとは言ってない)。活動の一環として、長年放置していたブログをはじめてみた。

 

さて、「お花見」の話題に戻る。私にとっての「お花見」は自宅周辺に流れる川沿いの桜並木を横目に見つつ駅に向かう時間だ(ということにしている)。春だなあ、4月だなあ、などと考えながら歩いているとリクルートスーツ姿の新入社員と思われる人々とすれ違う。フレッシュで、希望に満ちていて、なんだかキラキラのエフェクトすら見えるようである。それに比べて私は仕事ができなくて、ホワイト企業に入社したのにうつ状態で休職か…。勝手に落ち込む。自分にもあんな時期があったのが今となってはもはや不思議である。

 

新入社員当時の私は、正直言ってヤバいやつだったと思う。言い訳にしかならないが、仕事を教えてもらうことも、仕事を習得することも、すべてが初めての経験だった。先輩や上司、パートのおばちゃんとコミュニケーションをとることも、私には難しかった。

バイト経験は塾講師のみ、サークル活動もゆるゆるで、事務処理や接客などの経験がないまま社会人になってしまった。塾講師のバイトといっても、家庭教師のような形式だった。目の前の子どもに寄り添って勉強を教えることしかやってこなかったのである。そのうえ、自分が小学生のころから通っていた塾だったので、職場でのコミュニケーションという感覚はゼロだった。

 

例えば、こんなヤバいやつエピソードがある。先輩が「~と思ってもらって大丈夫」とか「後々わかってくると思うから手順だけ覚えてね」「~ていう感じでやってもいいよ」といった優しい言葉遣いで指導してくださっていたのだが、私は言葉通りに受け取ってしまっていた。「~と思ってもらって大丈夫ってことは本当はどういうことですか?」「理屈がわからないと手順の意味が分かりません」「~ていう感じって何ですか?「も」ってことは本来ならば違うやり方がなんですか?」などと言ってしまったような記憶がある。他にも色々とあって、脳内反省会ばかりの人生を送ってきた。

 

上のエピソードを読んで気付く方もいると思うが、私には発達障害の特性がある。(長年にわたってほんのりと疑念を抱いていたので、今年に入って正式に診断された時には納得したような、安心したような、独特の感情になった。)社会人として生活するうちに、処世術として無意識に「普通」の人に擬態していたのかもしれない。

 

休職に至った理由として考えられるのは、デフォルトで擬態している上に、異動で全く経験のない業務を習得したり、新しく職場の人間関係を築いたり、環境の変化で無理を重ねていたこと。その上、同じ時期に祖母が亡くなったことによる精神的ショックもあった。

 

一方、「お花見」がテーマのブログなのに、ここまで別の話に広げることができた(?)のは発達障害の特性のおかげかもしれない。

 

毎年、本格的に春めいてくるこの時期が好きだった。毎冬のように仕事辞めたい病を発症するほど、私は寒さが苦手だからだ。でも今年はちょっとしんどいなあ。来年は穏やかにお花見ができることを願って、まずは自分の健康管理と復職準備に取り組もうと思う。